普通ではなかった家庭

こんにちは!
今日の試合、勝ちましたね!! よかったー!明日も勝てば世界一ですね。
本当に努力して勝ち抜いてきた両チームは、明日の試合を正々堂々と戦うのでしょう。
海の向こうから、応援しています。

産んでもらわなくて良かったのに

父と母とはお見合いで知り合い、家政婦として働いていた母のアパートに父が転がり込んできたようです。母は30歳まで独身で、結婚で”苦労したくない”と思っていたそうです。でもなぜか、30歳では焦っていたと言います。そして父とお見合いで知り合ってしまった。母は私を妊娠して、母子手帳を妊娠6か月の時にもらってきたそうです。「それって、迷っていた?」母には言えずに私に残っていた思いです。「産んでもらわなくて良かったのに」と思ったのは去年のことでした。

原付バイクでの事故

私が2歳の頃、父は損害保険のセールスマンで、原付バイクで動いていました。ある日、ヘルメットをぶらさげて走行して十字路に出た際、車と衝突してしまいました。2週間くらい意識不明だったと聞いています。そして奇跡的に気が付いて、病院の先生が驚き、生命力があると言われたそうです。母はその時、生活保護を受けていたと話していました。

キャバレー通いをする父

仕事に復帰した父は、保険事務所として独立して自宅アパートを2部屋借りて家族と共に生活していました。金銭的に余裕があったようで、キャバレー通いをしていました。私も連れて行かれたことがあります。U字型の大きなソファーに、ホステスさんが右側に5人、左側に5人くらい座っていました。父は私に耳打ちしました。「こんなお姉さんになっちゃダメだよ」私は5歳くらいだったと思いますが、私は「それなら何で来てるの?」と思ったことを覚えています。

父にビンタされた朝

事務所を経営する父は、母のサポートが上手くないということで、よく怒鳴ったりしていました。
アパートの玄関で、薬を飲んだガラスのコップを下に叩きつけた所を私は階段から見ていました。使用人もいましたが、すぐ辞めたようでした。キャバレー通いが度を過ぎて、朝帰りをした日に、母が「キャバレーで寝ればいいんだ」と言っていたので、朝帰った父にそのまま言ったら、
びたーん!と顔をひっぱたかれました。頬がビリビリビリと血管が切れる音がするような痛みで
母が必死に濡れたタオルで冷やしてくれました。

妹を産んだ39歳の母

お風呂が付いている、2間しかないアパートに引っ越して、私が9歳の時に妹が生まれました。
妹の子育てもあるし、父の仕事の電話受けで忙しくしていた母。私はリカちゃん人形で一人で遊
ぶ毎日。その遊びを父に見られると、「幼稚なことをしている」と言われ叱られます。
妹を抱っこしている父は見たことがありません。妹はどうやって育ったのか、記憶していません。

リバーサイドマンションに引っ越す

私の通った小学校の目の前に、リバーサイドマンションがあります。その6階に引っ越しました。
部屋のリビングに当たる場所に机を2台置いて、保険事務所を経営していました。でもキャバレー通いが止められない父。保険契約を獲得する難しさと、事故連絡を受ける大変さ。今になってやっと苦労していた父の気持ちがわかります。マンションのローンもあるのに、先の見えない仕事で、ストレスが溜まり大変だったと思います。その頃の父は狂ったようになっていました。食事は別々で、私たち姉妹は、父へのお給仕が終わらないと母がご飯を用意できない状況でした。

姉のおかげで高校に行けました

中学を卒業した姉は、美容学校に通い美容師になりました。近所の美容院で仕事をして、お給料を家にいれてくれたそのお金で、私の都立高校の授業料と、妹の幼稚園の費用を賄ってくれました。
私は商業高校在学中に、保険代理店の上級資格を取り、卒業すると父の会社で働くことにしました。

絶対に帰って来るな

私が25歳で結婚するまで、父のもとで働いていました。築いたお客さんの数が多くなり、私が後継ぎと言われていましたが、ワンマンの父は私にも母にも冷たく、暴力をふるい包丁を持ち出し、母に向かって来ることが何度もありました。こんな家庭なんかに居たくない!私はまるで家出するような形で結婚しました。母から、絶対に帰ってきてはいけないと言われました。

私が辞める時、ちょうど18歳になった妹が仕事を手伝ってくれました。妹は私と全く性格が違い、営業には向いてない人です。それでも15年も務めてくれました。私は7年、妹はその倍、苦労をさせてしまいました。

61歳で父が逝く

脳梗塞で急逝した父。その後は妹が引き継いで、結婚して義弟は実家に一緒に住んでくれました。
私の結婚式の時、終盤に両親が真っ赤な顔をしてハンカチを顔に当てて泣いていました。私はもらい泣きなど絶対にできなくて「そんなに泣くのだったら、今までの仕打ちは何だったのか」と思いました。それでも、大変な生活の中で、育ててくれた両親は、まちがいなく私を愛してくれていました。それがやっと最近になって理解できるようになりました。

ちょっと暗いお話をしてしまい申し訳ありません。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
壮絶な幼少期から、結婚して頑張って仕事をして還暦まで生きられたことを
とてもありがたく、幸せに思います。
皆様はこれからも希望があります。未来の幸運を信じて、邁進いたいましょう。

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