こんにちは!
もうすぐ大相撲九州場所が開幕しますね。まだ横綱としての優勝がない豊昇龍に、ぜひ頑張って
横綱としての優勝を目指してもらい、プライベートでは大輝と呼ぶ仲の良い横綱大の里と、大勝負を期待しています。我が家では近くに住む長女に、二人目の子供を授かりました。それでも長男を保育園に預けて働いています。今まで、すべて自分で決めてきた娘。私のアドバイスなどは中学で終わっています。33歳にもなるのでもう親の小言は聞きません。子育てに悩みながら医療現場で働いて、超多忙な毎日を送っています。親の私はいつも気にかけていますが、見守るしかありません。
ぶち当たったリーマンショック
派遣社員を辞めた頃は2008年7月でした。その頃は北京オリンピックが開催され、終わった9月にはリーマンショックにより、私が辞めたばかりのその会社は、大きく影響を受け、派遣社員はほどんどクビになったようです。近所のスーパーで、その会社で知り合った人とばったり会い、「いい時に辞めたねぇー」と言われました。まさかそんなことが起きるとは思いませんでしたが、いつか
会議の時に見た”販売シェア”が外国に頼っていたことを思い出します。
ハローワークに通う日々
そこからの就職活動は困難を極めました。メンタルは最低になり、顔つきも幽霊のような”ボーッとした顔”。そんな幽霊みたいな顔じゃ、仕事は決まらないよ!と旦那に言われました。証明写真もボーッとしているし、どうしようもない自分がいました。ハローワークでは、車中で待ち伏せしている会社がいました。「お仕事探していますか?」の問いでしたが、「当り前じゃない!どこで待ち伏せしてるのよあなたたちは」という気持ちでしたので、「探してませんよ!」と言いました。すると、はぁ?という顔。どん底に居るのだ私。ここから巻き返すには時間ががかりました。
個人情報満載の名簿
それから着物屋さんにパートとして入りましたが、振袖を売り歩く営業で、大変な仕事でした。当時、会社から渡された「18歳くらいの娘さんがいる家庭の名簿」を使い、電話をどんどんかけるという仕事でした。電話口の向こうから、お父様の声が聞こえます。「どうしてうちに娘がいることがわかるのだ?」と。会社がどこからか買ってきた名簿を使うというのは、当時めずらしかったのかもしれません。
開店した宝石店での接客
それから大型商業施設が開店するという事で、従業員募集の大きなチラシを見て、一番時給の高い
宝石店に入りました。接客業です。接客と営業は全く違うと思いますが、取っ掛かりのトークは必要なので、いかにして店の奥に入ってもらうか、ということが重要でした。お店の前面には、値段のお手頃の商品を並べて、奥には大きな真珠や結婚指輪、婚約指輪の展示がありました。
チャンスをつかんだ接客
「再び保険会社へ」のきっかけとなった宝石店に来てくれたマネージャー。本当にありがたかったと思います。マネージャーも会社で、「すごくいい人に出会った!」と言ってくれていました。
どこにチャンスがあるかわからないと感じています。どうなるかわからなくても行動すると、道が開けていくのを今、実感しています。
まとめ
どん底でもあきらめなければ、道は開ける。
ピンチをチャンスに変えるとかよく言うことですが、
ピンチであったからこそ、どれがチャンスなのかがわかると思います。
自分を見捨てなくてよかったと、しみじみ感じています。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
傍で見ていた夫は、どう思っていたのかわかりません。
ただ、損保でのパートで、泣いて帰った私を見て、ホントに怒鳴り込んでやろうかと
いつも思っていたと言われました。
家族に心配をかけてでも、自分の道を探していた私。
今、こうして語らせていただけるのも、チャンスをつかんだと感じています。
皆様に、チャンスと幸運が届けられますように。

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