20歳と25歳の春、新聞に載った私

こんにちは!
寒くなりましたね。今日は冬物のジャケットを着てスーパーに行きました。体が温まるご飯を作りたいですよね。社会では女性初の総理大臣が誕生しました。女性の活躍がますます日本を良くするでしょう。

”いらっしゃい”コーナーに登場した看板娘の記憶

20歳の春、私は保険代理店で働いていました。当時、FAXが画期的と言われていた時代です。
ある日、新聞の配達員が事務所のあるマンションのガラスドアに誤って体当たりしてしまい
ガラスを割ってしまいました。怪我はなかったようで良かったのですが、そのあと謝罪にみえた
営業所の所長さんから、新聞の取材を受けてほしいと言われました。
”いらっしゃい”というコーナーに、私が「看板娘」として紹介されることになりました。
インタビューもあり、いろいろなお客様に出会えるのが楽しいと言ったことを記憶しています。

「娘さんが新聞に載っていますよー!」

新聞に載った自分の写真を見て、恥ずかしくて照れくさくて、記事を切り取っていませんでした。その朝、お客さんからかかってきた「娘さんが載っていますよー!」の電話に「やだ~」と出られませんでした。目立つことは好きじゃなかった内気な私がいました。

新聞社での対談に選ばれた4人のセールスレディ

25歳の春、大手損害保険会社4社で活躍中のセールスレディとして、新聞の対談に呼ばれました。そのうちの一人が私でした。1990年3月頃、新聞の4面だったと思いますが、1ページ全部を使い
4人の顔写真と対談の内容がほとんどカットなしで掲載されました。

保険業界を先取りしたひと言

対談は記者からの質問に答える形で、ひとりづつ聞かれました。私の順番は後の方でした。私への質問は「損害保険と生命保険の商品の中で、どの補償が合わさったら良いと思いますか?」というものでした。私は迷わず「損害保険の介護保険と、生命保険の終身保険が一緒になれば良いと思います。」と言いました。この直後に生命保険から、介護保険が特約として発売が始まった記憶があります。当時は介護保険は損害保険から発祥しました。生命保険では存在していませんでした。
今では生命保険の特約になっているのは当たり前ですが、当時の介護保険はまだ浸透しておらず
意味を説明するのは大変むずかしく、全く売れませんでした。

あの頃の私に、今の私が言いたいこと

「あなたの直感は正しかった」「あなたは、先見の明がある!」後に実際そう言われました。
対談が終わってから新聞社の記者たちと、その週の金曜日に新橋でしゃぶしゃぶをご馳走になりました。2次会はカラオケでした。お開きになったら、ひとりづつハイヤーで自宅まで送ってくれました。まるでVIP扱いに、驚いて帰ってきました。

保険業界とのご縁

1990年3月は、今の夫と結納を交わしていました。対談はその後でした。
6月には結婚式を行いました。仕事は辞めて一旦家庭に入りましたが、再び保険会社に入ることになります。今度は生命保険会社です。
この話はまた今度にお伝えしたいと思います。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
寒くなりましたので、風邪をひかないよう
暖かくしてお休みください。




コメント

タイトルとURLをコピーしました